浅野総一郎
(1848年~1930年)

明治から大正を経て昭和初期に至る約半世紀の間に、日本経済は日清・日露・第一次世界大戦と3つの戦争の体験を通して、飛躍的な成長を遂げてきました。まず最初に軍需工業・造船・鉱山等の部門に西欧の新技術が導入され、ついで紡績業を中心とする軽工業に波及し、やがて官営八幡製鉄所の開庁(1897年)にみられるように重工業分野での産業革新が花開きました。

当社の創業者浅野総一郎は、ちょうどこの時代に活躍した大事業家で、彼の手がけた数々の事業の一つに、火薬類の国内自給を目指して北欧スウェーデンから技術導入したカーリット爆薬の創業があり、これは第一次世界大戦最中の大正6年のことで、この時に当社の事業は始まりました。

1916年~1930年

1916年 初代、浅野総一郎がスウェーデンカーリット社から爆薬カーリットの極東に於ける製造販売の特許権を取得し、浅野同族会社においてその研究開発に着手。 
1918年 浅野同族株式会社に製薬部を新設し、同年カーリット爆薬の特許取得。
1919年 横浜市保土ヶ谷区に工場(保土ヶ谷工場)を建設し、爆薬「カーリット」の製造を開始。
1920年 (旧)日本カーリット株式会社を設立。
1923年 浅野セメント株式会社に吸収合併。カーリット事業部として事業を継続。 

1931年~1950年

1934年 浅野カーリット株式会社(資本金150万円)を創立。
カーリット事業を浅野セメント株式会社より継承、群馬県北群馬郡古巻村(現渋川市)に原料工場(群馬工場)を建設。
1939年 研削材「サクランダム」製造開始。
1942年 関東水力電気株式会社、関水興業株式会社を合併し、社名を関東電気興業株式会社と改称 。
関東化学工業株式会社(現、関東高圧化学株式会社)へ資本参加し、子会社とする。
1945年 社名を関東電気工業株式会社と改称。
1949年 東京証券取引所に上場。
除草剤「デゾレート」販売開始。

1951年~1970年

1951年 社名を日本カーリット株式会社と改称。
1953年 群馬工場内に高級漂白剤「シルブライト」製造設備を新設し、販売を開始。
1954年 群馬県勢多郡南橘村(現前橋市)に自家用水力発電所(広桃発電所、常時出力3,300kW)を建設。 
1956年 パルプ漂白用二酸化塩素発生装置を開発。(JCC法)
1962年 保土ヶ谷工場にて「硝安油剤爆薬」の設備を新設し、販売を開始。
1966年 保土ヶ谷工場にて緊急保安炎筒「ハイフレヤー」の製造設備を新設し、販売を開始。
1969年 愛知県豊田市に豊田配送センターを設置。

1971年~1990年

1975年 次亜塩素酸ソーダ電解発生装置「ハイポセル」の販売開始。
1976年 日本研削砥粒株式会社を設立。
1980年 カーリット産業株式会社を設立。
1984年 群馬工場内に、有機導電体の製造設備を新設。有機導電材「TCNQ錯体」販売開始。

1991年~2010年

1991年 家庭向整水器用「R電極」販売開始。
ジェーシービバレッジ株式会社を設立。
1994年 株式会社シリコンテクノロジーを設立。シリコンウェーハ事業を開始。
1995年 群馬県勢多郡(現渋川市)赤城村に製品工場(赤城工場)を建設し、火薬類の製造を開始。
保土ヶ谷工場を閉鎖。
1998年 高分子系電解コンデンサ「PC-CON」販売開始。
1999年 ISO9001認証取得。
2001年 ISO14001認証取得。
2006年 緊急用保安炎筒に緊急脱出用ガラス破壊器具をプラスした製品「ハイフレヤープラスピック」販売開始。
2010年 ジェーシーボトリング株式会社を設立。ボトリング事業を開始。
上海現地法人「佳里多(上海)貿易有限公司」を設立。

2011年~現在

2011年 シンガポール現地法人「Carlit Singapore Pte.Ltd.」を設立。
危険性評価試験の大型試験受注に対応するため屋内外の試験設備を増設。
2012年 塗料・塗装事業を行っている「富士商事株式会社」へ資本参加し子会社とする。
各種耐火、耐熱金物、公害防止機器部品の製造販売を行う「並田機工株式会社」へ資本参加し子会社とする。
2013年 群馬工場内に電池試験所を設立。
日本カーリット株式会社の株式移転により純粋持株会社「カーリットホールディングス株式会社」を設立。
2016年 日本研削砥粒株式会社、第一薬品興業株式会社の2社を吸収合併。
広桃発電所更新改修工事が起工。
2018年 カーリット産業株式会社を子会社化。
広桃発電所更新改修工事が竣工。


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